書き置き

何かを書き残す

ロジカルな思考について

最近、論理的思考について思いを馳せることが多かったので、メモ。

対称

よくある「何が問題か」

「問題」があるということは、「こうあるべき」という理想が必ずある。ここは必ず対称的だ。 無いのであれば、それは「問題」ではないのかもしれない。 もしくは、無いからこそ「問題」が表れないのかもしれない。

「問題」に対処するのも大事だが、それと同じくらい「こうあるべき」を考えることも大事である。

階層

よく「○○が出来ていないのが問題だ」っていうのが的はずれだったりする。

これと対称的になるのは、「○○が出来ているべき」ということになる。 で、出来てればいいの?

「○○」をやっているのは、きっと何らかの結果を期待してのこと。 というより、ある目的のための手段である場合がほとんどだろう。

「○○が出来ていないのが問題」というのは、つまり手段を言及しいる。 よく言う「手段の目的化」になってしまっているのではないか?

とはいえ、立場や権限によって、見る「階層」は変わってくる。 大きな組織の「目的」に対する「手段」は、小さな組織の「目的」となりうる。 個人レベルでも同じで、ある「目的」を達成するためには、「手段」を一時「目的」として そこに注力する、ということは必要だろう。

ただし、必ずその「目的」の上には、それを「手段」とする「目的」があることを忘れてはならない。 それが無いのであれば、その「目的」は無意味ということになる。

論理とは常識に基づく

ロジカルシンキング。論理的思考。 実はこれって、「常識」に大きく依存している。

・・・うまい例えが思いつかないけど

人によって「常識」は違う。 ということは人によって「論理」が違ってくるということ。

話が食い違うということは、「常識」がシェア出来ていないから。 うまく話が伝わらないということは、自分の「論理」の間にある自分の「常識」が相手に伝わっていないから。

理数みたいに絶対的なものはない

論理的思考っていうと、何かを分解したりする。 あるテーマに対して要素をあげていって、それが漏れなくダブリがないか、みたいな。

なんとなく、これを難しく考えてしまう。 「こういう観点もある」「これって、こう考えるとこっちと被るような」

でもこれ、絶対的な正解は、無い。

こう考えることは大事なことだろう。 でも、「事柄」に注目して考えてしまうと、迷宮に入り込む。

「事柄」は、見かたによって色が変わるからだ。

大事なのは、受け取り手がどう感じるか。どう伝えるか。 そこに向けて、ただの「事柄」に色を付けていく。

なので受け取り手によって、何が良いかは変わってくるということ。 これを忘れて、迷宮に入り込まないように注意したい。